INTERVIEW

Journey of a Songwriter 旅するソングライター OFFICIAL INTERVIEW (インタビュー・文:古矢徹)

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 思いがけない恋に落ちた男が、自分の人生に起こった突然の変化に驚き、とまどい、でもそれを歓迎しているという曲が随所に配置されているのも『旅するソングライター』の特徴のひとつである。
 たとえば「サンシャイン・クリスマスソング」。あるいは「恋する気分」、「マグノリアの小径」。視点こそ異なるが、“恋”を“新しく生まれた命”に置き換えれば「ハッピー・バースデイソング」も、そのテーマの変奏と言ってもいいだろう。
 それは意図したことなのか。その質問への回答は、直接的な答えではなく、初めて語られるエピソードだった。

「ミックスのためにロサンゼルスとマイアミに向かう一週間前に、高校時代の親友から封筒が届いたんです。もう誰も住むことのない彼の実家を処分するために整理していたら出てきたそうで、その中に予備校生時代に彼に出した俺からの手紙と写真が入っていた。その写真というのが、俺の初恋の女の子の写真だったんだよ。1971年の夏、18歳の俺と17歳の女の子。ひと夏かぎりの短い恋で、それ以来会えなかったし、写真も持っていなかった。でも、写真を見たら、彼女の笑顔やいろいろな場面を思い出した。その恋がなかったら、こうして音楽をやっていなかったかもしれない。そのときは、若くて貧しくて、つらく苦しい恋のまま終わってしまったけど、今はそのことが、人生においてかけがえのない大切な経験だったとわかるんだよね」

 前作『My First Love』で“初恋”の相手はロックンロールだったと発見した浜田省吾だったが、もうひとつの初恋の話。しかし、このエピソードの意味は初恋にあるのではなく“その恋がなかったら、こうして音楽をやっていなかったかもしれない”という部分にあるのだと思う。
 ロックンロールであろうと恋であろうと新しい命であろうと、あるいはもっと些細なものであろうと、人は常に、年齢に関係なく、自分にとってかけがえのないものに思いがけず出会う可能性を持っている。

 映画『アゲイン 28年目の甲子園』の主題歌にもなった「夢のつづき」を初めて聴いたときに思い浮かべたのは、ロン・セクスミスがオムニバスアルバム『ブリーカー・ストリート~歌い継がれるグリニッヂ・ヴィレッジの名曲集』(1999年)でカバーした、ティム・ハーディンの60年代の名曲「Reason to Believe」。60年代のフォークソングの現代的解釈という意味を含めての連想だったが、作者が意識していたのは、同じように若くして亡くなり、ともすると忘れられた存在となっている、あるソングライターだった。

「サウンドとしては、ツーフィンガーといわれているギターがメイン。フォークソングをやっていた人は、みんなこの弾き方を練習したよね。ボブ・ディランやサイモン&ガーファンクル、PPMとか。でも、俺としてはもう少しポップ寄りの、ジム・クロウチというシンガーの作品イメージがあった。若くして亡くなられたんだけど、名曲をたくさん残してくれていて、なかでもいちばん好きなのが“いつもきみのことを想っていると言おうとするのに、なぜか違う言葉が出てきてしまうんだ、だからラブソングの中で愛してるって言わなきゃいけないんだ”という『I’ll have to Say I Love You in a Song』。この曲の歌詞と音楽の世界観がすごく好きで、自分がラブソングを書くときの気持ちと同じだなって共感します」

 アルバムについてのこうしたインタビューについても、浜田省吾は常に「自分の書いた歌について語るのは難しく、難しいからこそ歌や音楽にする。それについて語れば語るほど、想いから遠ざかっていくような気がする」と語っていることをつけ加えておこう。

 「瓶につめたラブレター」は、1993年の『その永遠の一秒に』のときすでにミックスダウンまで行われ、完成していた歌。ドゥワップのスタイルだった曲が、今回はJAZZYなテイストを加えられ甦った。
 「夜はこれから」と「永遠のワルツ」はともにダンスナンバーだが、“ケロケロ”と称されるボーカルエフェクトの効いたコンテンポラリーな前者と、旅情を誘う弦の響きが美しいクラシックな後者という、その対比も聴きどころ。

「『夜はこれから』については、水谷(公生)さんは今主流のエレクトロニック・ダンス・ミュージック、EDMの方向に向いていた。でも俺は流行りの音そのままというのが嫌で、R&Bやロックの香りを残したサウンドにしたかった。それで、ホーンを入れたり、エレクトリックギターをフィーチャーしたりしています。『永遠のワルツ』は、結婚式の花嫁と花婿、あるいは父親と娘が踊っているシーンを思い浮かべて作りました」

 そしていよいよ、圧巻の三部作「アジアの風 青空 祈り」。『その永遠の一秒に』以来、あえて封印していたとも思える“硬質な祈り”の歌が、一気に炸裂する。
 いや、本人曰く「クラシックでいうと第一楽章、第二楽章、第三楽章となっている」という、その第一第三楽章はまさに“祈り”という言葉に相応しいが、第二楽章である「青空」は“祈り”というより“叫び”だ。聴くたびに、ついステレオの音量ダイヤルを大きく右に回してしまう自分がいる。
 「問題作と言えるかもしれませんね」とたずねると、浜田省吾はこう答えた。

「何か問題ある?(笑)」

 まったくありません。浜田省吾のこうした“硬質な祈り”いや“叫び”の歌の特徴は、そこに皮肉や揶揄、諧謔といったものがほとんど加えられておらず、比喩的、詩的な表現を随所にはさみつつも、非常にストレートであるという点ではないだろうか。

「国家や民族に分断されている人々のこと、そしてかつてそうだったような、無能なリーダー達が導く悲劇を歌った、これは説明の必要のない歌じゃないかな」

 アルバムのラストは、本人が「弔いの歌」と語る「誓い」。
 先ほど「サンシャイン・クリスマスソング」などの話にあった“思いがけず出会う可能性を持っている”のは、喜びをともなうものや出来事だけとは限らない。人は望むと望まざるとに関わらず、何かに出会って変化する。

「2011年3月11日の被災というのは、戦後の日本にとってもっとも大きな惨事であったと思います。そして今も、復興は遅延しているし、原子力発電所からの放射能汚染を止められないままだし、ある意味ではずっと止血できずに血を流しながら生きている感じがする。ただ、あれから3年経った昨年になって、やっとそのことについて歌が書けるようになりました。直接そのことを歌っていなくても、ある意味では全ての歌のバックグラウンドにそのことがあります。たとえば1曲目の最初のシーン。そこには、再びそこに戻って行くんだという気持ちもあるし、遠い日々を回想しているという意味もある。歌詞にある“再生”というのは、壊れた自然や街並みの再生、心の再生、この国の再生を意味しています」

 1曲目「光の糸」で“友よ”と呼びかけた浜田省吾は、ここでも“友”を歌い、“心ある仲間”という言葉も使う。

「病気と“闘った友”もいるし、自然災害や事故と闘って亡くなった人もたくさんいて、その“友”を悼む気持ちです。そして、いずれ自分も友に見送られる立場になる。そんな気持ちが“友よ”になっているんでしょう」

 浜田省吾が“友よ”という言葉を歌詞に使ったのは、おそらく1975年、AIDO時代の「去りし友よ」以来だ。あれから約40年、おそらくその言葉をあえて使わなかったのではないか。無意識のうちに避けていたのかもしれない。長年のファンならば、その言葉を浜田省吾が2015年の今歌う、その重みも感じるはずだ。同じ言葉でも、誰が歌うかによって、その意味はまったく異なって届く。
 「誓い」のエンディングは、非常にさりげない。

「当初『誓い』のあとにも、『アジアの風 青空 祈り』の前と同じように波のSEを入れていたんですが、1曲目の『光の糸』につながっていくように、なおかつ余韻が残るように簡潔に終わらせました」

 映画や小説や音楽の“傑作”というのは、既成のデータを新しいデータに置き換える“上書き”でもなく、スポーツ競技などの新記録とも違う。
 「新しい傑作が生まれるたびに、それは過去の傑作の系列に組み込まれ、組み込まれることによって、過去の姿全体を変えてゆく」と言ったのは、イギリスの詩人/文芸批評家T.S.エリオット。
 その言葉にしたがえば、『Journey of a Songwriter 〜 旅するソングライター』という傑作が生まれたことで、『HOME BOUND』や『J.BOY』『青空の扉』『My First Love』などの傑作(個人的には『誰がために鐘は鳴る』や『初夏の頃』なども)に、これまでとは異なる光が当てられ、姿を変えてリスナーに届くこともあるのだろう。
 単純にいえば、2015年秋からのツアーで、『Journey of a Songwriter 〜 旅するソングライター』の新しい曲たちとそれらがどのように並べられて歌われ、化学反応や相乗効果を生み、会場を熱狂させるのか。
 浜田省吾の歌には、「ラストダンス」や「家路」のように、本人曰くツアーで長く歌うことによって「リスナーに育てられてきた」曲が多数あるし、ツアーで歌われることでその曲の持つポテンシャルが全開となる傾向も強い。
 ああ、今から秋が楽しみだぜ!