INTERVIEW

Journey of a Songwriter 旅するソングライター OFFICIAL INTERVIEW (インタビュー・文:古矢徹)

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 この記事の読者はすでに「光の糸」のミュージックビデオを観ているはずだ。どんな言葉より、「光の糸」の音と映像と、つまり浜田省吾の新しい曲そのものが、ニューアルバム『Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター』の素晴らしさを物語っている。
 最初に聴いたのは2014年9月、ツアーをともに回ったバンドのメンバーを集めて行われた、レコーディング前のリハーサル。その1曲目が「光の糸」だった。

「オリジナルアルバムは10年ぶりなんですよ。この10年間、みなさんにはオリジナルアルバムなしでつきあってもらっていたんです(笑)」

 サウンドプロデューサー水谷公生が書いた譜面と、浜田&水谷ふたりが作ったプリプロダクションの音源を聴きながらのセッションは、浜田省吾自身のそんな挨拶からはじまった。
 10年ぶり。いや、それよりも、40年の音楽キャリアを積み、オリジナルアルバムだけでも17作を数え、すでに数々の名曲を残しているソングライター/パフォーマーの新作がどんなものになるのか。
 熱心なリスナーであればあるほど、それを待つ気持ちには、大きな期待とともに一抹の不安があったりするものではないだろうか。
 しかし、リハーサルスタジオ内にデモ音源が流れるとすぐに、不安はまるで消え去り、さらに、漠然と描いていた浜田省吾楽曲のよき再生産的なものへの期待ともまるで異なる、新しい歌の世界に驚く。

 「水谷さん、ドラムのパターンって譜面のCまで一緒ですか」「イメージとしてはそんなにソフトな感じじゃないですよね」「あー、そうか! わかった、わかった!」「じゃあ、サビのフレーズはもっと自由でいいんじゃない? 今のだと律儀な感じだから」「悪かったなー、律儀で!(笑)」
 譜面を見つつ、プレイヤー達がデモ音源に合わせて演奏をはじめる。演奏だけでなく、そこで交わされる言葉、そしてスタッフも含めスタジオ内全体が、素晴らしい曲に出会えた喜びに共振するこの雰囲気。それが、浜田省吾が10年ぶりに生み出すオリジナルアルバムがどんなものになるのかを、饒舌に物語っている。

「今回、ミックスダウンをしてくれるのは、世界最高峰のエンジニア達です」

 くり返される演奏の合間に浜田がそう言ったときには、バンドのメンバーがこう応えた。

「本当に? じゃあ、世界最高峰の演奏をしないと(笑)」

 アルバムは、絶妙のタイミングで2曲目に入る。リハーサルの2曲目もこの「旅するソングライター」だった。
 演奏の途中、浜田省吾本人が、出来立ての歌詞のプリントアウトを目の前に置いてくれる。そんなことをしてくれるソングライター/パフォーマーも少ないと思うが、じつは歌詞カードがなくても、歌の言葉がしっかり耳に、いや頭や心に届くのが浜田省吾の歌なのだ。
 一度でもコンサートに来たことがある人は、きっとわかっているだろう。それが浜田省吾の歌の際立った点だ。
 浜田省吾の声の魅力、ボーカリストとしての力量、歌われる言葉が描く世界のイメージの喚起力、的確なアレンジ、プレイヤーの演奏力、レコーディングおよびミキシング、マスタリングエンジニア、そしてツアーにおけるPAエンジニアの技術と歌に対する理解力。
 長年のアルバム制作、ツアーによって培われた浜田省吾とそのチームの素晴らしさを唯一無二のものと感じさせるのは、どんなときにも「浜田省吾の歌が聴こえる」ということだと思う。アコースティックギターやピアノの弾き語りのようなスタイルならともかく、バンドサウンドの快感とそれを両立させるのは、至難の業といえるだろう。
 ……と書いていてふと、歌詞の冒頭にそのまま“君の歌が聴こえてくる”“オレの声は届いてるか?”とあるのを思い出す。ああ、この文章も歌詞に導かれていたのか。もちろん、歌われている“君”は特定の個人でもあり、浜田省吾の歌のリスナーという意味でもあるだろう。
 先ほどの「浜田省吾の歌が聴こえる」理由に、パフォーマー自身が観客の声をよく聴いているという大きな事実を忘れてはいけなかった。

 レゲエのビートに乗って、印象的な歌詞が次々に歌われる。歌の主人公と作者はもちろん同一人物ではないが、この曲については本人も「タイトル通り、ソングライターである自分のことを、ちょっと引いて客観的に歌っていますね」と語る。
 ステージでのバンド紹介的ナンバーとして親しまれた、前作『My First Love』に収められた「この夜に乾杯!」と対になるような、自己紹介的楽曲。しかし“ナイスガイってタイプの人生規範から見事に外れて”という一節は、浜田省吾についての一般的イメージとは、かなり異なるのでは。
 そう質問したときの答えは、こうだった。

「……あなたは俺の何を知っているというの?」

 曲を聴きはじめたのはAIDO時代だからリスナーとしては40年ほど、レコーディングやツアーの取材については90年代初期からなので、そちらももう四半世紀ほどになるが、そう言われると、ソングライター/パフォーマーとして以外の浜田省吾については、何も知らないのかもしれない。
 そのあとに歌われる“月に向かって唸る 歌う 吠える”という狼男宣言、また“自分探し”ではなく“自分忘れの旅”という言葉も印象深いが、もっとも心に残るのはラストのひと言。
 “人は生きてた 生きてた”と過去形で歌ったあと、通常のレゲエよりも少し速く軽快な、けっしてレイドバックはしない現在の自身の歩みを思わせるそのテンポに乗ってつけ加えられる、シンプルなワンフレーズ。
 さりげない言葉が心にしみる、これも浜田省吾の歌の特徴のひとつだろう。

 歌詞については、本人が客観的な視線で記した前述の“創作ノート”に「歌の言葉を書く」というタイトルで、こう語られている。

まずメロディーが生まれる、旅の途上で、日常の中で。
ある時はリズムパターンから、コード進行から、メロディーラインのみも時もある。
それらのメロディーがつながって曲として形を成す。
その曲にドラムとベースとコード楽器を付けてシンプルなサウンドを作る。
その音源を持ち歩き聴く。
街角で、車の中で、浜辺で、河辺で、渓谷で……。
そして、そのメロディーが喚起する情景を思い描く。
すると、何小節かのメロディーラインにぴったりの言葉がふいに乗る。
その一行の言葉から物語を紡いでいく。
いつもそんな風に歌が生まれる。
それらがアルバムという形で集まる時、
自然にそのアルバムのテーマが浮かび上がってくる。
まるで短編小説集のように物語が連なっていく。

誕生日を祝う歌、プロポーズの歌、結婚式の歌、友に別れを告げる歌、
淡い恋の歌、家族の歌……。
そして、この新しいアルバムの歌の中の登場人物は、
時に偶然に、時に意図して、
かつて書かれた歌の中の主人公達の物語とつながっている。

 私小説ともいえるストーリー「旅するソングライター」から一転、3曲目「きっと明日」はミステリアスなムードのただようコンテンポラリーなロック。ジョン・メイヤー、ザ・ローリング・ストーンズ、レディー・ガガなどの作品でも知られるグラミー賞エンジニア/プロデューサー、ジャック・ジョセフ・プイグの手によるミックスダウンは、あまりに大胆な仕上がりで、制作スタッフの間にも当初は賛否両論あったという。ドラマチックな歌の世界観に、さらに深い陰影を刻み込んでいて面白い。
 しかし、謎めいた雰囲気の一方、歌に込められている作者の思いは、英語表記も含めたタイトル通り、ポジティブなものだという。かつて書かれた歌の中の主人公達の物語と、もしつながっているとしたら、2005年のシングル曲「Thank you」だろうか。

 「美しい一夜」は、マーヴィン・ゲイの名曲「セクシャル・ヒーリング」などで使われ、その後R&Bの定番のひとつとなり(一方で、当然のことながらYMOやクラフトワークなどテクノ系でも)、ダンスミュージック/ヒップホップシーンで再評価もされたリズムマシン、ローランドTR-808、通称“ヤオヤ”の音色とビートが、無機質だがあたたかい独特のグルーヴを生むソウルバラード。
 ちなみにこの“ヤオヤ”、フィル・コリンズらがその魅力を語り、ローランド創業者である梯郁太郎氏のインタビューも収められたドキュメンタリー映画も制作されている(日本公開は未定のようだが)。タイトルは『808』。
 それはともかく、この「美しい一夜」。R&Bでありながら、日本的な情景を歌っており、そこで描かれている物語は、やはり“かつて書かれた歌の中の主人公達の物語”と、現実なのか回想なのか夢なのか、幻想的にゆらぎながら切なく結びついている。

 曲順は前後したが、今回のアルバムの中ではむしろ数少ないともいえる、浜田省吾の王道的メロディーとサウンドの楽曲が「マグノリアの小径」である。AIDO時代からの音楽仲間である町支寛二のバッキング・ボーカルが大々的にフィーチャーされ、降り注ぐ音のシャワーが気持ちよく圧巻なナンバー。

「このアルバムは町支くんのバッキング・ボーカルなくしては成り立ちません。この曲をはじめアルバムの中で音数の多いものは、俺の好きな『青空の扉』のエンジニアであるトム・ロードアレジにミックスをしてもらいました。彼は、たくさん入っている楽器の音すべてを綺麗に整理して、繊細かつダイナミックに仕上げてくれる。そのトムがいつも、最初はバッキング・ボーカルをものすごくでかい音にするんです。彼曰く『ふつう、どのバンドもバッキング・ボーカルがひどくて下げるんだけど、きみのはいいからつい上げてしまうんだよ』って。うれしい言葉でしたね」

 全15曲(トラック数は17)、収録時間75分を超える大作だが、アルバム全体の印象は重厚というよりも軽やかだ。それは、どこか突き抜けたような日常感の(出版物でいうなら、単行本というより雑誌のような、つまり現在進行形の)ジャケット写真およびデザイン、そして、あまりにもさりげない言葉が並ぶ各曲のタイトルから受ける印象に過ぎないのかもしれないのだが。

 たとえば「五月の絵画」。
 長田進と石成正人が同時に弾いて録音したという、絶妙なノリの2台のアコースティックギターなど非常に少ない音数の、タイトル通り5月のみずみずしい空気を感じさせるサウンド。しかし、そこで歌われているのは、家族の切なく深い人生の機微を、やはりタイトル通り一枚の絵画に凝縮したようなストーリーである。

 軽やかでさわやかなジャケットデザインや、各曲のタイトルの印象とは異なる奥行き。インタビュー“後編”では、浜田省吾自身の言葉をさらに加えて、アルバムの全容を紹介していくので、ぜひお楽しみに。